【日蓮宗系の呪術と祈祷と霊術と】
日本史を専攻される方は日蓮系、
霊能系は、法華経系、日蓮系、真言系が
多いところ、
折伏が禁止されていた時期があり、
そこから屈折して、
日蓮系は、呪術的な霊術祈祷に入り込んでいったことが
あり、それで、多彩な祈祷法、呪術法を
もっています。
今回、修験道系の宮家準先生の
『日本宗教の構造』の現世利益と憑物落としの項を
検討していると、
西村大観の『霊狐使用の口伝』の引用があり、
妙だと思い、いろいろ調べると、
西村さんは、どうも日蓮系の行者経験があり、
そこから、本体を慧日大聖尊とし、
潜在意識が統合されている
状態を普通の意味とは違って「霊狐」としていることが
了解されます。
彼の弟子の吉村光雲などを調べると、
仏教系の霊術家、霊法家であることが了解されます。
とくに、呪術要素、霊術要素が仏式の中では、
真言系と同様に日蓮系も強いのです、ね。
もっとも、祈祷の目的は、
除災、除厄、などのマイナス価値からの
個人の救済が一つとしてあります。
阻害要因を除去することが、現世利益になるワケです。
そこから、何もないのが、幸せであるという
ありがとう教喜び組の理屈が登場してきます。
苦がないのが幸せ。だから、それ以上の余剰はおまけ。
おまけがたくさんあると嬉しい、楽しい、さらに幸せ、
という理屈を展開してきます。
しかし、何もないのが当たり前から出発すると、
振り子の振幅は、両極に振れ、
結局、プラマイゼロの価値観に帰結するようです、ね。
そういう因果律を彼らは構築するようですが、
こちらとしては、そこがちと気に入らない。
いずれにしろ、
そのありがとう教喜び組の検討は、
仏式の思考回路の再検討のきっかけになりました。
そもそも、ご利益に結びつくような思考回路を
構築することが、日本への仏教思想の誘導の特徴だった
ようで。
その具体例は、『日本霊異記』あたりにみることが
可能です。この仏教説話というものは、民間には
受け入れやすいものになっているということです、ね。
逆にいうと、仏式因果律を構築することにより、
社会から目を逸らせる効果もあるようです。
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