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【KillerCoilの秘密】 【「齋藤孝を読む。」について】
身体技法、
という場合、
各自の目指すものが
それなりにあり、
こちらは、道具を使って何かをするので、
体操については、
ついさいきん、
「ぎっくり腰予防体操」4つのうち、
3つを紹介しておいた。
あまり煩雑にしても、
わかりにくいので、
ぎっくり腰予防体操を3つにした
ということ。
さて、下記の論者は武闘家のところ、
こちらの関心は、武闘医学なので、
思想的なものは刺身のつま程度にしかみてない。
つまり、思想的なものは装飾ということ。
ところで、下記にあるように、
「坪井繁幸(香譲)氏の身体気流法(メビウス気流法)、野口三千三の野口体操、ルドルフ・シュタイナーのオイリュトミー等の実践をしてみたり、・・・高岡英夫」と
4人の人物名が登場する。
そのうち、こちらがノーマークだったのは、
坪井繁幸(香譲)であった。
坪井は、早稲田文学部哲学卒、とある。
思想と身体というテーマで、
生涯をすごしたヒトで、
いま83歳の現役である。
最近、呼吸法についての本がでている。
身体については、
シュタイナーの線描芸術論の範囲での
考察があり、
とどのつまり、各自の動きたい方向に
動けというのがシュタイナーの結論。
これはという解はないよ、と。
世の論者は、いかにも、
こうだああだと講釈をたれたがる
啓蒙家がほとんどで、凡庸なのが過剰である。
というのは、
各自の思想出自に拘束されて発言
しているので、我田引水になっている。
さて、身体については、
こちらは、腰をいかに強化できるか、
これにつきる。
実用性が第一とみているので。
呼吸なんていうのは、
身体医学上のテーマとして
扱えばいいんじゃないのか。
身体と思想、身体と文化、
というテーマにほとんどの
身体技法論者が吸引されるところ、
それは、一つの罠にはまるのと同じと
みている。
こちらは、身体医学的に見る癖があり、
不具合が解消されれば、身体について
余計な語りは不要じゃないのか、と。
———————————
論者の概要は以下のとおり。
武者アヴェスタ
レトロゲームと武術・格闘技と超常現象(懐疑派)・神秘思想をこよなく愛するオッサンです。神話や民俗学も結構好きです。
合気道は合気会の五段、なぎなたは全日本なぎなた連盟の四段です。
平成26年4月、諸般の事情で25年以上所属した合気道の組織を休会しました。
令和元年8月、Yahoo!ブログからアメブロへ移行しました。
ブログには、日々の出来事と言うよりも、コラムや考察やエッセイのようなものを主に記していますので、非常に昔の日記であっても、遠慮なくコメントをください。
『武術とレトロゲーム』のはずですが、最近『ラーメンと山歩き』の記事が増えている気も・・・
以下、延々と続く。
https://profile.ameba.jp/ameba/musyaavesta/
以下、「呼吸入門」以降、
無視していた齋藤孝についての概要紹介。
—————————————
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12506012255.html
齋藤孝が嫌いだった訳ではないのだが、他に読みたい本があったために、齋藤孝の著書は後回しにしてきた。
このたび、斎藤孝の本を、以下の通り4冊続けて読んでみた。
「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生 日本放送出版協会 NHKブックス 2000年8月30日第一刷発行」
「呼吸入門 角川書店 角川文庫 平成20年4月25日初版発行(単行本は平成15年12月)」
「齋藤孝のざっくり!西洋思想 祥伝社 平成23年5月1日 初版第1刷発行」
「頭がよくなる思考法 天才の『考え方』をワザ化する ソフトバンククリエイティブ ソフトバンク新書 2009年9月28日初版第一刷発行」
「身体感覚を取り戻す」と「呼吸入門」の2つに関しては、内容が重複するところも多かったが、続けて読むことによって斉藤氏の身体論のアウトラインは掴めたように思う。「身体感覚を取り戻す」については、第14回新潮学芸賞を受賞しただけあり、他の教育学者や歴史学者、スポーツ学者や民俗学者や哲学者(身体論)があまり指摘してこなかった分野について言及しており、非常に興味深かった。いわば、国語と体育と、文化史と日本人論の交錯する分野について、言及しているのである。ただ、人文科学的な描写となっているので、鋭い切り口ではあるが、その内容全てが自然科学的な方法で、検証されたものではないのも事実である。この点については、むしろ他者の考証や反証を待つべきなのかもしれない。
「呼吸入門」の130ページあたりを読むと、自己の模索時代にいろいろな身体操法系、養生法系、修養法系の団体を巡り歩いたことが書かれており、坪井繁幸(香譲)氏の身体気流法(メビウス気流法)、野口三千三の野口体操、ルドルフ・シュタイナーのオイリュトミー等の実践をしてみたり、団体に席を置いて指導を仰いだりしたことがあると述べている。また、齋藤氏の著書内で述べられることはないが、ネット上の情報では、運動科学研究所の高岡英夫氏の組織に所属していた時期もあるようだ(所属当時の団体名は運動科学研究所ではないかもしれない)。そして131ページから132ページでは、「中には、超自然現象を売り物にするような、今で言うカルト的なところもありました。」「当時、呼吸や瞑想を学ぼうとすると、そうしたいささか危険な種類の人たちと関わる可能性もかなり高かった。私自身、実際にそういうものを幾つか見てきました。」と言った記述も見られる。
「齋藤孝のざっくり!西洋思想」は、自分にとって名著であった。他人とは違う独創的な切り口で語れると言うことと、一般大衆に知的な内容をわかりやすく解説することは、全く違う才能である。前者の才能だけでなく、後者の才能をまざまざと見せつけられた良書であった。この才能があるからこそ「同美術史」「同日本史」「同世界史」とシリーズ化されて出版されているのであろう。通常哲学畑で育った学者が、一般大衆向けの哲学者を著すと、紋切型の解説に終始してしまい、実生活や日常の思考とリンクしがたい教科書的な内容に偏りがちである。偉大な哲学者の思想を、大衆の実生活に存在する具体例に当てはめるセンスのなさを感じてしまうことも多い。著者はまず、読者に三つの山脈を提示してから、興味深い切り口で論旨を進めようとする。第一の山脈は、「西洋思想の始まりからアリストテレス帝国の建設まで」。第二の山脈は、「近代合理主義による哲学の完成。」。第三の山脈は「”完成された哲学をぶっこわせ!”という現代思想」となっている。
これまで、自分は『西洋には、精神的には「哲学」、物質的には「博物学」と言う「根幹」があったからこそ、その他の地域にはないような自然科学の発達があり、その科学を前提とした技術の革新も起こり得た。「和魂洋才」などと唱えつつ、自然科学や技術を吸収しようとした日本の場合は、幹のない枝葉のみの「タコツボ」化した学問となってしまった。そして、西洋思想の源流はギリシャ哲学とキリスト教。プラトンを神学に組み込んだのがアウグスティヌスで、アリストテレスを神学に組み込んだのがトマス・アクイナス。』と捉えていた。しかし、著者によれば、「プラトンのイデア論が、キリスト教と出会い、キリスト教会のツボにはまり、そして利用され、西洋世界を長く支配したこと」と「たった一人で世界の全てを説明してしまったアリストテレスの広範囲な学問体系が、西洋世界の常識として二千年近くも君臨し、キリスト教自体が、アリストテレスの思想を自らの補強として用いたこと」が、ローマ帝国よりも寿命の長い「プラトン・アリストテレス・キリスト教の大帝国」を築きあげたとしている。つまり、ギリシャ哲学のうちプラトン・アリストテレスが凄過ぎて、その後の西洋の学問の停滞を招く遠因になっていると言うことだ。この辺りの論旨の運び方は、まさに秀逸である。
また、プラトンのイデア論のおかしさを、以下のように説明している。「ソファーができたということは、ソファーというイデアがあったからだと言うなら、どんな新しい発明も進化も、それがすでにイデア界にあったからできた、ということになってしまいます。この世にあるものには、すべてあらかじめイデアがあった。そう言われればそうかもしれませんが、一方でこの考え方には、どうも後だしジャンケンのようなずるさを感じてしまいます。」「イスや机は人間が作ったものなので、ある意志のもとに作られたものですが、ゾウやキリンは意図してできたものではありません。生物の進化についての現代の知識から見れば、進化の過程にはあらかじめイデアがあったという説明は納得できるものではありません。」
また、マルクス思想やフロイト思想が、なぜ世界的に広まっていったかや、両者の共通性について以下のように述べている。「つまりフロイトとマルクスによって、人間の下部構造あるのも、社会の下部構造にあるのも、結局は『性とお金(経済)』という人間の欲望を満たすものであることが明らかにされた、ということです。」
そして振り返ってみると、「性」も「お金」も、キリスト教では「節制」の対象とされ続けてきたものではないか、と思った。
以前に『私は「常識の哲学」を推薦する 』と言う稿を書いたことがあり、そのときに「自分にとっての哲学の名著」を4冊挙げた。
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12506011793.html
今回、読み応えのある内容だった「齋藤孝のざっくり!西洋思想」と、過去に「バキと板垣恵介と哲学と ・・・」で紹介した「史上最強の哲学入門(飲茶 著 マガジン・マガジン 刊)」の2冊を追加したいと思う。(「史上最強の哲学入門」については、以下リンク先。この本も、具体例の挙げ方が秀逸だった。)
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12506010997.html
この「齋藤孝のざっくり!西洋思想」が、着眼点の良さと説明のわかりやすさで、非常に評価できる内容だったのに対し、四冊目の「頭がよくなる思考法 天才の『考え方』をワザ化する」は、自分にとっては今一つの内容であった。と言うのも、著者の言う「現象学」と「弁証法」の「ワザ化」、つまり哲学者の思考法を一般読者の生活の具体例に当てはめる例示が、あまりにも強引過ぎ、内容が俗っぽくなり過ぎてしまっているのだ。もっと言うなら、「現象学」と「エポケー」を紹介しているように見えて、その実「できるだけ先入観を捨てて、仕事にあたってみよう。」とか、「視点を変えると、面白い発想が浮かび上がるよ。」と主張しているのと、あまり大差がない気がするのだ。ならば、「フッサール」や「現象学」を持ち出してこなくても同様の新書は書けてしまう、と言う結論に至る。
これは、この本のみの問題ではなく、ビジネス書全体の問題でもあるのだが、著者の理論や成功の秘訣を具体例として挙げるときに、むやみやたらに野球の事象(イチロー等)や将棋の事象(羽生善治)等に当てはめようとする傾向が強すぎるように思う(それは、野球や将棋は結果〔優劣や勝敗〕が露骨にあらわれる世界だからであろう。)。そこには、「イチローや羽生らの超一流の特定分野での考え方・行動の仕方」と、「自費出版ではない書籍をこの世に問える一流の物書きの考え方・行動の仕方」と、「その著書を消費する一般大衆の考え方・行動の仕方」の3つの世界の間にある2本の大きなギャップを安易に飛び越えようとする強引さが見え隠れするのだ。当たり前の話だが、抽象的で観念的な文章だけでは難解で多義的になるので、具体例を挙げつつ論旨を進めるのは、ある意味正しい。しかし、超一流の人と普通の人が同じ感じ方や考え方をできない場合もあるし、超一流の人の行動の結果を理解することと、超一流の人と同じ努力をして同じ結果を出すことは別次元の気もする。
以上のように、「頭がよくなる思考法 天才の『考え方』をワザ化する」は、あまり評価のできる内容ではなかったが、こと「身体技術(身体操法)」に関しては、いくつか興味深い記述があったので、稿を改めて紹介してみたいと思う。
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