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【キラーコイルの秘密】
【ひろゆき『1%の努力』への辛口批評例】
特殊犯罪ではないけど、
特殊世界へ解を求めて
そこで解をだし、
そこからでて、
いまやひっぱりだこ状態となり、
ここぞとばかり、
ゴースト動員で本を一挙にだしまくり
となる。
ゴースト作るには、
最初200万着手、
その後の成果報酬として
印税の半分山分け、
このくらいしないと、
本人ゴーストとして定着しない。
さて、
中2の男子孫がぞっこん
ひろゆきファンなので、
根性曲がりは祖父の遺伝子のせいに
されている。
こちらの見立ては、
父子の葛藤劇起因とみているけど。
それにしても、
大学時代、
米国にコミュカレ留学できた
というのは、親が公務員の割には
なぜできたのかの疑問がつきまとう。
また、掃きだめ掲示板立ち上げ時
ホリエモンと盟友関係になっていたところ
それでも、有力スポンサーがついてないと
2ちゃんは継続できなかったと思われる。
そして、
訴訟額30億にまで膨れ上がり
嫌気がさして売却したと推測できるも、
またぞろ、米国ならばいけるとみて
4ちゃん管理人に収まるも、
そのまますんなり推移するとは
とうてい思われない。
民事上の賠償請求を踏み倒しても
それは債務不履行で刑事に転換しないと
たかをくくっている。
中大は文学部教育学科心理学コース卒だが、
意外にも、法律の抜け穴に詳しすぎるのは
弁護士による入れ知恵があるのだろう。
それにしても、
こういう日本には住めないような
人物がもてはやされるのは、
日本の曲がり角を象徴している
のかもれしれない。
以下、辛口レビューのところ、
ひろゆきのニヒリズムはかなり
徹底していることがうかがわれる。
掃きだめづくりに人生をかけたのだから、
その掃きだめにおいて命を預けたことになる。
たしかに、
ひろゆきは
めんどくさいと感じさせる
男といえる。
Amazonカスタマー
5つ星のうち5.0 1パーセントの努力を続けてきたかどーかを大人に問うてる本であるがめんどくさい
2023年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は最初に先ず「人生の結論」を出している。「生きる事に意味はない」、なぜなら地球の熱循環システムの一部でしかないから、「意味がない」ので、「生きている間だけ楽しければいい」とゆう考えのもと「ラクをして自分の人生の幸福の総量を上げる」方法を伝授する、という趣旨の本。
この人の理屈では人間は死んだ時点で終わりなので、その間だけ楽しく過ごせばいい、というワケ。
ちょくちょく炎上するSNSにおける著者の発言を批判しても意味がない。何故ならこの人にとってそれは「意味がない」ので。この人はじぶんの幸福の総量を上げる事だけを目的にしていると言ってるんで。
理屈に間違いがあろうと、矛盾があろうと、誰かの行いを侮辱しても、それらもすべて「意味がない」ので。著者はすべて無意味である、とこの本で述べている。論破というけど論破出来てなくても別にいいんだ。どうせ生きること自体に意味がないんだから、論破が論破になってなくても関係ない。
ンじゃなんでいちいち人の神経逆なでするようなこと呟くのかというと「人生の幸福の総量を上げる」ためじゃないかな。そういうことをやることでマネタイズしてるんじゃ。
選挙に関連して「若い人が選挙に行けば世の中変わるというのはウソ」とある。なぜかと言うと、若い世代は、年長世代の3分の1しかいないので、若者全員が選挙に行っても、年長世代がそれより多く行けばそれまで、どうやっても「負け戦」にしかならない、と。
これに対しては「選挙に行って若年層の投票率を上げる」だけで、若い世代を意識した公約を掲げざるを得なくなっていくので、目先で負け戦であろうと、中長期的にみれば世の中を変える力になる、という反論は可能である。
しかし、「生きている間に世の中が変わる」のが必須である。先の理論に基づくとそうでなければ「意味がない」。であるなら、行かないほうがラクでいい。ラクをして幸福の総量を上げる方を優先し、生きている間だけ楽しければいいのである。
このように反論を試みても、最後は「所詮は地球の熱循環システムの一部、意味がない」で「論破」されるかたちになる。
ので、この著者の発言を批判する意味は全くなく、「生きる事の意味」を若者に伝えてあげたらいい。
先の話で言うと「中長期的にみたら世の中を変えられる」点について生きてるあいだに変わらなくても「意味がある」とすればいい。つまり、「死んだら終わり」でなく、そのあとも繋がっている、と説けばいい。死んだら終わりの考えは「過去も未来も、意味がない」なので「自分が生きていない、過去や未来に意味がある」と説くのがいい。
著者の述べる上の「ウソ」は説明したように実際はウソじゃないので、間違っている。ので、著者が意味ないとする「過去」も「ウソじゃない」と言えばいい。未来がウソかどーかはわからないので、当面上語れるのは過去だけだし。
その語る過去の「生きる事の意味」に「ウソ」が含まれている場合、「著者の言ってることをウソだと言ってもアンタもウソついてるじゃん、一緒じゃん」になる。一点でもウソがあると「意味があるっていうけどウソで成り立ってるんじゃん」になって「意味があるのというのはウソ、意味がない」んで、最後は全部熱循環システムの一部に収束していく。
著者はじぶんが若い世代から支持されるのは「消去法」だと述べているから、「どっちもウソつきなら、消去法で著者を選んでもよかろう」となるから、著者を支持しても別にいいのでは。
ぜんぜん別によくない、というのであれば代わりに生きる意味を説くしかなく、そこにウソがあるとダメなんで、要は「自分は一切ウソ偽りなく過去を見つめながら未来に向かって人生を歩んでおります」と説明するしかない。そういう人が仮に一人もいないなら、別に著者に児童書をまかせてもいいんでは。よくないというのであれば以下略。
選挙における中長期視野にみられる努力を1パーセントだけでも人生の中で残して続けてきた人なら、これを反論できる。つまり有権者になってからずーっと行ける選挙すべてに行き続けている人ならそう言える。行ってない人がこれを言っても「アンタだって行かなかったことあるんでしょじゃあ行く回数が違うだけだからゼロでもいいじゃん」と返されるだけなんで、そのときに「行かなかったあのときのわたしはあほでした、しかし世の中変えるためにはどーしても若い人に行っていただかないといけないんでお願いしますとこうべを垂れる」ができるかどーか。そうじゃなくて「なんで若い人は選挙に行かないの、政治に関心が無いの、ちゃんと関心もたないと」って言うと、ムクムクと熱循環システムの一部でしかない、が湧き上がってくる…何処までも消えずについてくる、「どうせ熱循環システムの一部でしかないから人生なんて意味ない」。
よって著者を批判する唯一の方法は正しい道を止まることなくあゆみ続けること以外に無い。歩んでなかったなら反省して謝罪すればいい。それをしないと消去法で著者を選ぶひとを否定できなくなる。
このひとは大人にとって自分が「鑑」だったかどーかを映す「鏡」でしかなく、すべての大人が自分の生きざまを見つめなおす「鑑」であれば「鏡」なんかなくてもいいので、著者も必要ない、というか最初から必要とされない。消去法で選ばれるどころか消去されて終わる。
このひとはその鏡を売ってマネタイズしてるひとにしかみえないんで、歩んでるひとはこの本を手に取る必要もないから回れ右して自分の道を歩めばよく、そうじゃないひとは著者を批判する前に過去の自分のあやまちをぜんぶゲロすることが先なんじゃ。全員が正しい道を歩めば著者の存在価値はゼロになるが、そうならないと見切ってるんだろう。めんどくさい。
ので、著者の本を読まずにSNSの発言だけ批判してるほうがラクではある。それがラクをして幸福の総量をあげるのとどう違うのか、という話。
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