T教授による価値の文化史迂回経路(改題)(再掲載1353)

キラーコイル コイル1※いまお悩みがあれば、こちら、からどうぞ。
【無料相談×診断】
2※KillerCoil無料メルマガ登録はいますぐこちらへ。

【キラーコイルの秘密】
【T教授による価値の文化史迂回経路(改題)(再掲載1353)】


価値というのは
モノの価値ではなく
信仰の価値を含意することがある。
そういえば、
親戚の国立大医学部長で
「愛と価値」をしきりと
強調する者がいた。
伝聞によると、
ヘーゲルのaufhebenというのが
孫たちに伝えた信仰価値のようであった。
13歳違いで亀井静香先生と同期。
もっとも、亀井先生は定期券について
反学校的ビラを配布したとして、
高校を退学させられ、東京の公立校へ
転校した。
最後まで左派文脈の中で
大学人を終えたのが
恩師のT教授であった。
論文審査のとき、
社会科学は信仰であると
宣告されたので、
こちらは
びっくりこいてしまった。
ならば、
大学に残って
やるまでもないとして、
アカデミズムと
バイバイすることに。
以下、
プロテスタンティズム
の信仰に生きた
恩師についての
記事の再掲載。
———————————–
https://plaza.rakuten.co.jp/juksmile/diary/200910090008/
【価値の文化史迂回経路】
T指導教授の『価値の社会経済史』は、
プロテスタンィズムと
亜マルクス主義(解放神学的M解釈?)が
混合したものであった。
で、どうしても、
指導教授の場合は、
宗教価値を基盤とした
価値整理の社会経済史になる。
もち、
彼は、
社会変革派ではあったが、
大学に収まると、
せいぜい、
インドに行って、
その余韻に浸る、
という程度に
収まったようである。
さて、
社会科学は信仰である、
というのが、
T教授の認識であるが、
こちらは、
信仰にまでは
いたらないので、
当然、
袂を分かつことになる。
ほんと、
経済史の連中は、
カトリックなのか、
プロテスタントなのか、
無教会派なのか、
そういう面々ばかりであった。。。。
東大の大塚久雄にしてもしかり。
無教会派であった。
もっとも、
擬装なのか、本音なのか、
それはわからない。
ところで、
ドイツのM.ウェバーに
宗教社会学
という大著があり、
やはり、
経済史に在籍していると、
そういうものに
触れざるを得ない。
何せ、
Wirtschaft und Gesellschaftが、
演習のテキストなので。
力ある宗教理念は何か、
それを東洋、西洋の中に
網羅的に探索しているワケである。
パワーなきものは、
価値なきものとして
捨てられる。
ということで、
若き日は、
徹底して
実利主義の探索者であった。
つまり
実利パワー主義者であった。
カウティリアの実利論ではないが、
こういうものは、やはり、徹底検討された。
で、あまりに、
西洋的価値に偏していたので、
40代前後に、
梅原古代学へ再度入門したことがある。
たしかに、
古事記以前の偽書とされる歴史書に
入れあげていく人は、
ローマン派なのであろうが、
想像力の喚起には、
ああいうトンデモ系の偽書は、
面白いのであろう。
八幡書店などの出版戦略は、
霊統ボルシェヴィズムの構築であるという。
おそらく、百人も輩出すれば、
一応の成功なのであろう。
だが、
それは、
歴史的怨念の霊的復活に近いのではなかろうか。

ダ=ヴィーン∀!!
★足腰に問題のある方新メルマガいますぐご登録!!★

コメント

タイトルとURLをコピーしました