1※いまお悩みがあれば、こちら、からどうぞ。
【無料相談×診断】
2※KillerCoil無料メルマガ登録はいますぐこちらへ。
【キラーコイルの秘密】
【小林一喜『思想における現代とは何か』1991 問立ての巧さ? 法律系出自の小評論家で当時異質】
小林には、
戦後主体性論批判、
戦後自立論批判、
という個人批評本が
二冊ある。
ともに、
どう突っ込むのかについて
種本的に参考にさせてもらったことがある。
第三作として
『思想における現代とは何か』がある。
本整理中にみつけたので、再拝見すると、
内容的には、
経済学の実体論、関係論、生成論という変遷が
思想変遷の前にあったことを提示し、
それを後追いするかのごとく
思想の実体論、関係論、生成論の流れがあることを
提示し、
ついでに、講座派的マルクス主義の前近代→近代化
という単純アテハメ主義を批判していく。
とくに、廣松渉の物象化論を批判していく。
ついでにフランス現代思想を持ち上げる丸山圭三郎も
こきおろしていく。
小林は法学部出身なので、
現実感覚に鋭く、
浮ついた軽薄思想に飛びつくことはしない。
だが、フランス現代思想に期待したらしいところ
残念ながら、幻滅に終わった、とか。
民青系出自
なのかは不明だが
かちっと、
共産党のどこが
おかしいのかも
指摘することができる。
季刊現代批評という雑誌も
創刊したらしいところ、
あまり長く続かなかった様子である。
小林については
下記の1記事があるのみ。
他の記事は削除したかもしれない。
個人的には、
修士論文を書くとき
存在論と認識論の援用の仕方を参考にしている。
ちなみに、
相手から
突っ込まれにくいように
問立てするのは
巧いとみている。
そして、
時系列的に
思想変遷をたどるのも
巧いのではないか、と。
多分、
法律分野だと
法制史的センスが
あるとみてよい。
だが
体系的に
何かを組み立てる
感覚はあまりない。
彼の4作目は
田中角栄論。
ヤフオクで確保。
1700円。
季刊現代批評
の創刊号では
吉本隆明との
論戦応答文が
掲載されてる。
———————————-
https://plaza.rakuten.co.jp/juksmile/diary/202312160003/
【個人的に思想上の論法種本は小林一喜(かずのぶ)だが】
存在論と認識論を
織り交ぜながら
鵺的にのらりくらりと
批評対象を論じていくスタイルを
身に着けた種本的なものは小林一喜に
往昔依拠したことがある。
1935年生まれ。新潟県出身。明治大学法学部卒。「点」の会所属。著書に「吉本隆明論」「黒田寛一論」(共に田畑書店)、「思想における現代とは何か」(同友館)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『戦後精神における近代と超近代 田中角栄にみる“地”民主主義の立ちあげとその軌跡』より
多分、
同級生のS君の下宿先で
みつけたのが小林一喜の本では
なかったかと記憶する。
そのS君は学生結婚をし、
当時として珍しく就職先は
塾だった。
どこの塾だったのかまでは
聴かなかったけど。
ところで、
対象を批判していくとき
この論法は使えるなと
確信したのは、
指導教授が授業で
存在論上の極限的価値概念と
認識論上の極限的価値概念の等値
なる定式化を振り回していたので
一応、それを拝借しているけど。
多分、小林の論法は
存在的と存在論的を区別し、
存在論上の本質とは何かという
問題提起をしていくやり方、
これにより論点をずらしていく
ずるい方法を発見することに。
異なるものを結合することにより
分断主義的突っ込みに予防線を
張っていく、と。
どうやら、
幼稚な左翼的発想の人物を
批判するのにどうすればよいかの
種本として小林一喜本を
こちら的には選択したということ。
論戦論法の種本の発見になったと
ということ。
マルクス批判の論法は
指導教授より授業中に
伝授されたと受け止めている。
マルクスの弱点は
人間の存在把握が弱いこと。
人は類として死ね、というのが
マルクスによる人間把握である、と。
学術的にいえば、
実践理性による人意識の統御という
権力的発想をマルクスはする、と。
レーニン的にいえば、
意識注入により人はいかようにも
戦士に仕立てられるという
政治的発想をしていく。
そして、
敵は容易に殲滅対象になる、と。
こういう左翼的発想の人物類型は
D文学においては「悪霊」扱いとなる。
環境左派の斎藤幸平あたりの弱点も、
人間存在把握が等閑視されているため
能天気な脱成長を振り回すだけとなる。
3.5%の人が云々という発言にも結び
ついていく。
こういう人は、量的人間しかみていない。
それゆえ、人を駒扱いにしかしない。
残念ながら
元大学塾長の小泉信三の
マルクス批判の方法は
人間存在把握まで下りてないとみて
未読であり、未検討のまま。
論戦レベルは
最初から方法論どまりではないか
とみているので、参考にさえしていない。
ちなみに、
人物論から入った小林の場合、
大きな思想テーマを扱うのは
不慣れのようで、人物論以外の
2冊は、まともに卒読するのは
ちと無理な感じである。
手っ取り早く当時流行的人物論に
飛びつくのは販売戦略上から
きているのであろうけど、
こういう思想上の巨人と格闘しない
論評では継続性がでてこない。
人物論を論じるのが
かんたんだとしても、
最初から料理する観点は
決まっており、自分の枠に
相手を裁断していくだけで、
不毛といえば不毛な結論しか
生まない。
例のC.ウィルソンなども
人物論が多いのだが、
安易な道を選択すると、
歴史的に残るものがない。
人的真実は事象的真理の前には
屑泡として消えるので。
せいぜい、人的真実は、
記念碑的に銅像に結実するだけ。
★足腰に問題のある方新メルマガいますぐご登録!!★
コメント