【やがて哀しき外国語】
語学学習について、
世間の人たちがかなりの誤解をしているのではないか
ということで、
勉強本の一つとして、
最初に検討したのが、
村上春樹の『やがて哀しき外国語』だった。
村上文学という観点を脱落させた語学観点からの
村上春樹との遭遇であった。
勉強しないで、早稲田に入る。
これは、嫌味でも何でもなく、
私立文系というのは、
英語に偏していると、受かる、のである。
まずは、圧倒的に、
文字の量の洗礼を受けているか、ということ。
だから、『世界の歴史』30巻を興味をもって
繰り返し読んだ、というのは、
文字の洗礼、しかも、学術的な紹介論文の洗礼を
浴びたこと。
たしか、70年代のヒッピー的ベルギー人が、
ギリシアくんだりまできて、こいつらアホだ、
という軽蔑の姿勢に、村上春樹が、
かなりの嫌味を感じたと、
『遠い太鼓』で紹介しているが、
そのときのベルギー人は、オーエとミシマを
知っているかと、村上に尋ねてきたという。
村上は、しらない、と。
村上が日本史に興味をもっていたのであれば、
おそらく、オーエとミシマの洗礼を受けたかもしれないが、
「世界の歴史」の洗礼を受けていると、
オーエとミシマには行かなかったかもしれないと、
思われる。
どこで、文脈の感覚を身につけるかである。
ただし、受験勉強をしないで、
さらりと、大學に入ると、
勉強それ自体をなめた感覚になるだろう。
その「なめた感覚」の代償は、
いずれ、どこかで払うことになる。
そのなめた感覚の代償とは、
普通の人のように、企業勤めしたり、ということが
できなくなる。
つまり、日本的感覚と何かずれた感じになってくる。
まぁ、村上春樹の翻訳作業というのは、
自分のエゴの調整、他人のエゴの中に入り込む技術として
とらえられている。
それで、小説が書けないときに、
翻訳作業をするという。
さて、1990年代にアメリカに行ったときに
書いたのが『やがて哀しき外国語』だった。
これは、江藤淳が『喪失と成熟』を書いたのと
類似していることに注目したのは加藤典洋だった。
おそらく、外国の文化文脈の中で、
排除される感覚がでてくるのであろう。
せいぜい、定住的旅行者としてしか振る舞いができない。
あちらに、定住するつもりがない場合、
言語という壁が待ち構えている。
だから、翻訳という範囲内に、
語学学習を村上は限定しているともいえる。
こちらが、いま英語を受験英語に限定しているように。
往昔の高校時代に限定していたことは、
英語でポーの小説を読むことだった。
とにかく、長文が読めて、熟語知識があれば、
英語の得点は満点に近かったのである。
しかし、文学というのは、
ある意味でアナキズムである。
自分基準を立てることに開き直るところがあるので。
他の基準を寄せ付けない、受け入れない。
表面上の語学を飛び越えると、
そこには、誰と対話していくのか、
そういう問題に直面する。
それが、何を専門とするのか、という問題でもある。
日本語にしてもしかり。
語学上の問題を飛び越えて、
あなたは、何を専門とするのか、と。
その専門を意識しない語学というのは、
哀しいのではないかというのが、
村上春樹の本のタイトルの趣旨ではなかったかと
解している。
いま、その本がどこかに行方不明なので、
具体的な内容については思い出せないが、
中学生時代の愛読書が中央公論社の『世界の歴史』で
あったというのは、特異な感じが残る。
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