「おめでたう」と「とほかみゑみため」祝詞

「おめでたう」と「とほかみゑみため」


鈴木重胤は、幕末の国学者と言われた。
彼の最大の業績は『日本書記伝』とされる。
だが、いまの人は、日本書記を振り返ることは、
ほとんどない。歴史マニアを除いて。
それで、こちらも、読むのは、
作家の福永武彦による古事記、日本書記の現代語訳である。
ほとんど、漢字の素養はないし、漢字の訓読の訓練不足により、
現代語訳により代用するのみとなる。
また、記、紀に登場する神々の名前は、
こちらは、カタカタ表記をしている。
それでも、
段々と、古代の漢字表記になれてくると、
注釈書と訓読法により、
重要と思われるところは、漢文確認をする。
祝詞などは、やはり、漢字表記でないと、
賞賛気分がでてこないので。
この祝詞の場合は、現代語訳という訣にいかない。
助詞の部分も、すべて、漢字表記のものを基本とする。
さて、祝詞とよく問題になるのが、
天津祝詞ごとの太祝詞ごとを宣れ、といった場合、
その内容は何かで、種々の説が噴出している。
その中でも、鈴木重胤が指摘したのは、
それは、「とほかみゑみため」ではないかであった。
一応、実践の行者は、これを〇回、
天の数歌を〇回と、敷衍する。
このあたりは、口伝、秘伝なので、
実際のところ、不明なところが多い。
あと、折口は、「おめでたう」という祝詞を
あるものに対して、手向けるという。
これは、どこかで、聞いたことがある。
というか、そのときは、「ありがとう」であったが、
こちらの「おめでたう」のほうが威力があると解される。
こうしたきわどい問題について
折口の「国文学の発生」の第一、二稿は触れている。
まぁ、詞、言葉、ことば、の威力を経験してみたい人は、
こうした折口の「国文学の発生」を検討すると、
かなりのお宝発見になるだろう。・・・
第一回の検討では、
ある記号と祝詞の二点、
これを抽出した。
第二回の検討では、
「おめでたう」の抽出であり、
「とほかみゑみため」は確認となった。
この二詞の使用目的については、
各自で、テキスト確認されたい。
あと、陰陽師あたりの祭文は、
祝詞の民間応用だとされる。
祭文のほうは、物語構成になることが多い。
奏上の対象の格が下がるにつれ、
民間流布しやすくなる。
つまり、民衆に受容されやすくなる。

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