【本日到達の『琉球神道記』】
あと、未達なのが、
折口新編全集版の〇巻と、
柳田の『石神問答』の二冊です。
さきほど、後払いで、『琉球神道記』が到達しました。
くるくる回転式幸(サイ)放射コイルの仮完成と
同時になりました。
さて、1608年に著した真言密教系の僧侶・袋中による
琉球神道のまとめ記が上記書であるところ、
詞文が梵字で書いてあるところは、こちらは無視します。
別の祭詞文を用意すればよろしいので。
祭詞文は、適度に、祭祀主体が作文すればよろしいのです、ね。
ところで、僧侶による神道記は、
どこに、仏式のバイアスがかかっているかを
つきとめれば事足ります。
そのバイアスを外せばよろしいので。
元の原文は漢字カタカナ交じり文なのですが、
書かれていないことを見抜くまで、
こちらが心眼に徹すればOKです。
こちらは祖述はしない癖がありますので、
要は、ひらめきのリソースになるかが、
重要なだけになります。
急いで結論を出すような擬似古神道などは
とっくに卒業していますから、
さほど、振り回されるということはないです、ね。
相曾誠治にしても、
彼の仮説の真贋を見抜けるか、
そのために、
柳田・折口などを手引きとして、
古代祭祀の探索すればよろしいのです。
書かれたものの表層を素直に受け取ることは
もはやないです、ね。
豊富な古代祭祀の素材は、
柳田、折口により提供されていますから、
それらを手引きにして、
実際に、古事記、日本書記、後日本紀、古語拾遺、祝詞宣命文などに
直接あたり、あとは、自己流にアレンジして、
自説仮説構築に活用していく、と。
そんな感じになります。
今回の「蛙お黙りコイル」の回転体への転換には、
柳田國男の『先祖の話』と、
折口信夫の『民族史観の他界観念』の比較検討が
ベースになっています。
つまり、精霊体を役神化するには、何が必要かで、
回転体が必要であると、ひらめいたのでした。
琉球神道記から何を抽出できるのか。
それは、まだ、わかりませんが、
低いスピリットとか、低い精霊体とか、
そういう問題よりは、ちと、上のレベルについての
ヒントを抽出していけるだろうと、直感しています。
おそらく、
柳田國男の『海上の道』と
折口信夫の『沖縄に存する我が古代信仰の残?』の
二論考と、上記の『琉球神道記』を比較検討していくことに
なるでしょう。
悪さをしたがる低いスピリットの役神化とは別の問題が
それらにはあると、推定しています。
で、
電動式回転体コイルへのきっかけがより明確になるでしょう。
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