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【再掲載】【KillerCoilの挑戦】 【船瀬俊介の原点= 『暮しの手帖』をつくった男 きみは、花森安治を知っているか? 】
東大入試の中止。
それは、当時の受験生にとって
劇的なショックであった様子がうかがわれる。
つまり、その年の受験校の偏差値があがり、
船瀬は工学部建築学科を目指すも、
志望学部に入れず、
理学部の何科かは明言しないけど、
(※多分、化学科ではないかとこちらは推定。)
不本意な学部に入った自覚があり、
一年しないうちに、未来へ絶望し、
一転して、早稲田第一文学部社会科に
入ることになる。
そして、生協とかかわるも、
共産党系シンパであるとは言わない。
ただ、市民による社会変革の星を
アメリカのラルフ・ネーダーの中に見出し、
なんとか、日本にもそういう消費者運動を
起こせないかと考えているときに、
暮らしの手帖社の花森安治と出会う。
その後、25歳のときに、
生涯の師と仰ぐヨガの沖正弘に遭遇する
らしいところ、そのあたりの経緯は、
こちらにはまだ不知のままになっている。
基本、船瀬は、
左寄りとみてよいのだが、
党派闘争の凄惨さに嫌気がさして、
市民による社会改革を消費者運動の中に見出す。
その意味では、
彼の71歳の人生はぶれていない。
それゆえ、反体制的な医療ジャーナリスとしては
筋金入りといえる。
それに対して、
こちらはブレまくりである。
左寄りの姿勢は、
30歳前のときに、棄教している。
その後も数度棄教を重ね、
左寄よりに対しては、
マルクス的悪魔神学批判としての立場を
宣明しているともいえる。
それにしても、
船瀬の花森論は、
船瀬青春時代の記念碑である。
こちらは価値両極の確率振幅派であるところ、
船瀬は、価値単極の一念凝固派であるといえよう。
世界が、という発想ではなく、
生活が、暮らしが、消費者が、
というレベルに船瀬が下げたことに対して、
テーマ的にはこちらはあまり関心が
その当時は感じることはなかったといえる。
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