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【思想の危険について ―吉本隆明のたどった軌跡 (新装版)】
田川建三著。
そもそも、宗教者を
こちらは措信していないので、
まともに田川本なるものを
読んだことがない。
所詮、宗教者は宗教狂とみなしているので。
これは、魔術現象に幻惑されて、
仕掛けも種もある魔術の舞台裏がわかっていないので、
現象に幻惑されて舞い上がっているのと変わらないのが
宗教者、宗教狂ではないか、と。
とかく、人文科学、社会科学は信仰であると
思い込んでいるやからに対して、こちらは
反発感が大である。
それは、せいぜい、人信仰、集合意識により作り出された
神概念をありがたがっているにすぎないのではないか、と。
さて、以下は、田川による吉本論のところ、
これを拝見したamazonレビュー者が
面白いことを言っている。
人には、①自分を語りたがる者と、
②異質のもの(他人)を理解したがる者とがいる、と。
吉本は①であり、田川は②である、と。
こちらは、AとBの比較論者で、
格別にAとBを理解しても仕方ないとみている。
理解する、というよりも、
比較しながら、それぞれに使えるモノはないのか、
そういう観点から、両極的なものへ目配りしているに
すぎない、ともいえる。
こういうのは、判定者の立場に近い。
だから、限りなく、当事者意識はなく、第三者意識となる。
いまさら、吉本論なんていうのは、
どうでもいいのだが、どうやって
言いがかりをつけるのかの見本くらいのものが
下記のものだろうとみている。
思想詐欺師の典型例が吉本であり、
思想詐欺の狂信例が田川かな??
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内容説明
現代日本の代表的思想家といわれた吉本隆明。彼の優れた問題意識を吸収しつつ、同時に思想の構造のもたらす危険性を鮮明にした吉本隆明論の新装版。
目次
第1部 「大衆の原像」という虚像―親鸞論を手がかりとして(「大衆の原像」の変遷;「知」と「大衆」の空疎化―親鸞から宗教をぬくと吉本になる?;「生活者」は善悪を超越する?;大衆が「個」に解体する! ほか)
第2部 「共同幻想論」という幻想(「共同幻想」という幻想;「狐」が「共同幻想」になるまで;「共同幻想論」はマルクスの考え方?;吉本はどこまでイリッチの詐欺にひっかかったか ほか)
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