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【山本×小室『日本教の社会学』2】
仏教学者の中村元に、
『日本人の思惟方法』、
という書があり、
往昔、検討したとき、
こういう日本的特殊性を強調して何になるのか、
後味はよろしくなかった。
中村元に対しては、
せいぜい、
「和顔愛語」程度の感情レベルの強調教訓の
摘出が目立った程度ではないか、
という読後感を抱き続けたままになっています。
また、
『日本権力構造の謎 上下』にしても、
これは、対日本政策上の日本レポートのところ、
こういう諜報的分析書にしても、
この著者は何をしたいのか、後味が悪かった。
もっとも、趣旨は、日本的権力構造の弱点探しですけど。
ベネディクトの『菊と刀』にしても然り。
対日政策上の日本人分析書ですけど。
日本的特殊性は「恥の文化」に集約です。
で、山本七平の日本人論にしても、
対日政策的な諜報分析的な要素があり、
ことさら、
日本的特殊性を分析して何をしたいのか、
何かを断罪告発したいのか、
このあたりが後味の悪さが残るのです、ね。
多分、山本の問題意識は、
世界で嫌われているユダヤ人と日本人の違いが何か、
これが問題意識の根底にあるのでしょうけど。
山本×小室『日本教の社会学』にしても、
遅れた日本的特殊性を
アメリカ仕込みの先進科学の方法論により
小室が断罪していく要素が濃厚で、
やはり、後味がよろしいとはいえない。
結論的には、
だから日本はアメリカに負けたんだ、
ダメじゃないか、に帰結していく。
当然ながら、
丸山真男の『現代政治の思想と行動』にしても、
日本的政治権力者たちに付着する無責任体系を抽出して、
だから、ダメなんだと断罪していく手法は、
かなりお気軽なところがあり、
やはり、後味はよろしいとはいえなかった。
もっとも、
こちらにも、
日本的特殊性に対して、
相当に違和感を抱くところがあり、
日本的特殊性から離脱したがる癖があります。
とはいえ、
こちらのモデルは、アメリカではなく、
やはり、ドイツになっていますけど。
なぜかしらイギリスの感覚にはならない。
思想の基準設定をこちらは日本モデルに
求めていない、というだけともいえます。
————————
ちなみに、
中村元の『日本人の思惟方法』についての
amazonレビューは以下のとおり。
生憎、筆者は海外の文献を含む、すべての日本思想関係の著作に目を通したわけではないので確定的な事は言えませんが、少なくとも日本語で書かれた包括的な日本人論、特に言語的・文献学的視点から考察した日本人論として、これ以上に優れた著作はちょっと思いつかないほどです。
勿論、「包括的」という形容詞が付く以上、ある特定の分野に絞った上でならより深い考察を払った著作はありますし、また、もっと別の視点からの包括的な著作(例えば、オーギュスタン・ベルクの『空間の日本文化』は、言語的側面のみならず、地理的要素や建築といった非常に多角的な視点から日本文化を考察した傑作です)も存在しますが、
巷に溢れているナルシシズムと紙一重の商業的な「日本人論」を読むよりも、これ一冊を何度も読み込んだ方が余程勉強になります。というより、専門に研究するのでもない限り、これ一冊を理解すれば十分と言えるほどです。
以下内容については、日本人の思惟方法の特徴(「思惟方法」という用語の厳密な定義に関しては、別冊の『インド人の思惟方法』、p.10参照)として、
‘a 現象即実在論
‘b 外来思想の恣意的(独創的?)解釈
‘c 尚古性
‘d 特定の具体的な集団・組織、或いは経典への絶対的帰順の重視
‘e 関係性の重視
‘g 単純化(象徴化)嗜好
と複数のものが挙げられており、詳細に関しては実際に読んでくださいというしかありませんが、ヒントとしてキーワードを挙げるなら、’aの現象即実在論が極めて重要です。
現象即実在論とは、簡単に言えば、「実際に我々が経験している世界こそ法則なのだ」とする、極端に経験論的な主張で、この見解は論理的帰結として、数学的実在論etcの形而上学的実体の存在を否定します。
ちなみに木田元が『反哲学史』で、日本人の考え方が基本的に反哲学的であるとした理由は、一般に哲学の源流とされるプラトンがこういった見解とは正反対の考え方を取っているからです(尤もこういったプラトニスト的な立場は非ユークリッド幾何やゲーデルの定理の発見の結果、かなり主張としては弱められたものとなっており、木田が言ったような「哲学ー反哲学という枠組み」自体を再度議論し直す必要があります。こういった問題に関心がある人は、『日本哲学の国際性』の中にあるジョン・C・マラルドの「生成中の哲学を再定義すること」を推奨)。
この傾向は、儒学者、仏教者問わず、日本の思想家にほぼ一貫して見られる特徴で、本書(日本人の思惟方法」)の中で挙げられている他の特徴のかなりの部分は、この考え方から導かれています。’b外来思想の恣意的(独創的?)解釈に関しては、「外来の思想を<日本の現実>にあった形にする」という傾向や、よく聞かれる「ここは日本だ」という外来思想に対する反発に見られますし、’cの尚古性はまさしくこの外来思想に対して、「日本の現実」を擁護する文脈で現れます。また、’dの特定の<具体的>な集団に対する帰順といった傾向も、この立場と密接に繋がっています。
尤も現象即実在論は実際のところ必ずしもこういった特徴と「論理的な関係」にあるわけではなく(その証拠として、フッサールに起源を持つPhenomenologieは歴史性を確かに重視しますが、日本における現象即実在論のように<具体的な>組織や特定の伝統文化に対するコミットを必ずしも意味しません)、我々が「<日本>の現実は…」といった言葉を使うときに、ある特殊な意味を込めていることがわかります
(ちなみに、この文脈で必然的に「天皇」の存在が浮上します。「日本人においては公共性とは皇室に対する関係にほかならなかった」本書、p.252より)。
もう一つ、重要な点として挙げるなら、’bの外来思想の恣意的(独創的?)解釈という点。中村氏は、「日本的な思想家」と言われる人間ほど、むしろ外来思想を恣意的ともいえる形で読み替えている事を指摘しています(本書、p.8)。
戦後日本の哲学者は、一生懸命に西洋の哲学の文献研究に勤しみましたが、果たしてそれがどの程度独創的な成果を残してきたのかという事、またテキスト解釈に問題があると指摘されてきた西田幾多郎が現在むしろ海外の哲学研究で注目されている事などを考えた時、この中村氏の指摘は我々の哲学に対する態度そのものを考え直す必要を迫っているように思います。
———————-
こういう日本的特殊性に
どっぷり浸っている人にとって、
その特殊性を自覚することはないし、
また、特殊性の外に基準を設定して、
殊更、違和感を強調していくことに対しても、
生産性をこちらは感じない。
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