万葉集の祈りと延喜式祝詞の類同性
折口信夫によると、
柿本人麻呂の歌謡の多くは、
寿詞ではないかと指摘する。
白川静によると、
祝と呪の記号体系を
万葉集の中にみようとする。
神話と民衆の情緒的基盤との類同性の探索、
これが、白川静の問題意識である。
一体に、人は、いかなる祈りをするのか、と。
面白いことに、
折口信夫の場合は、
差異よりも、類同性に目がいくという。
そして、幾重にも、文脈の解釈がみえるのだ、とか。
で、
祝詞の翻訳と、
万葉集の翻訳をしていると、
ほぼ、いかなる頭の動かし方をするのかが、
見えてきた、という。
とくに、祝詞の構造の研究を折口はすすめる。
こうした指摘は、
かなりのヒントになります、ね。
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