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【キラーコイルの秘密】
【こちらの÷分数の処理と吉本隆明が受けた遠山啓の講義】
割り算には
①等分割と
②包含割との
2つの意味がある。
この意味の違いを無視して
機械的に数字だけ操作するようじゃー
迷路に入るだけだ、ぞ。
と遠山は警告する。
その先に、
どうして÷分数の場合、
分母と分子をひっくり返して
掛け算するのか、
その意味を考えたことがあるのか、と。
だが、
遠山の÷分数の解説には
スマートさが欠け、
弟子どもが遠山の解説の
オウム返しをするのみ。
こちらは
÷分数の分数を整数の1に還元する。
例えば
12÷(3/4)は
12×(4/3)÷[(3/4)×(4/3)]・・・÷1にする
12×(4/3)÷1・・・÷1は変わらないことを意味する
12×(4/3)・・・÷分数の分数の分母分子をひっくり返した掛け算になる
12÷3×4
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これを直観的に理解するには
直角三角形の
横と縦を使って
図形で考えると
さらに明快になる。
①横軸3/4→1にする
②縦軸12→12×4/3
図解すると、
横軸1に対して縦軸がいくらになるか
という演算をしていることになる。
要するに、
÷分数の分数を整数の1にする
ということがキモになる
ということ。
図形的には
割り算とは
横軸1に対して縦軸がいくらになるか
ということ。
下記のような高度抽象的な
ことを考えなくても、
算数的には÷分数が
何をしているのかの操作上の意味は
図形表現してしまうと
つかめてしまい、
÷分数はそのままでは演算不可
という操作上の問題があることが
白日の下にさらされる。
これは
÷小数においても、
そのままでは演算不可になる。
演算上の操作を必要とするので。
÷分数の解釈を巡っては
当然複数あり、どう考えるのが
一番しっくりくるのか
それは多様の解釈を許す。
遠山の÷分数の解釈が
スマートでないので、
こちら的には、
遠山の解釈を拒否したことになる。
÷整数の意味に複数あることの
遠山の指摘とその図解には
納得しているけど。
÷分数についての結論は、
とどのつまり整数問題に換算して
考えざるを得ないこと。
図解すれば一目瞭然なんだが、
大方の解説者は代数的にやろうとするので
無理があるというまで。
ただ、÷分数において
分数の分母と分子をひっくり返しかける
というだけでは機械計算に終わってしまい、
その図解と意味理解が無視されるので、
高校数学の微分の接線の意味もわからなくなる。
このあたり、
明快な解説できる解説者はいないので
いくら塾講師の解説を聴いても
わかったようでわからない
もやもや感がつきまとうことになる。
解釈上の問題があのは
英語のto不定詞の意味が
4通りあるのに匹敵する。
ちなみに、
下記サイトでは
①分母を横軸表現
②分子を縦軸表現
という直角三角形上の横と縦に
分母と分子を分解しないため、
わかりにくい図になっている。
というか、直観的了解にまで至らない。
上記解説者は、距離÷時間の
図形表現をどのようにするのだろうか。
やはり、縦軸に距離、横軸に時間を割り当て、
12km÷3時間=4km÷1時間
これを直角三角形上の
距離:縦軸、時間:横軸に割り振ると
横軸1時間あたり縦軸4km進むのが
速度の定義だということが
直観的に了解されるようになる。
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http://math.artet.net/?eid=1421628
吉本隆明が受けた遠山啓の講義
遠山啓『文化としての数学』の巻末に収められている、吉本隆明「遠山啓 ―― 西日のあたる教場の記憶」(初出『海』/1979年/原題「遠山啓さんのこと」)によると、戦後まもない時期に吉本隆明が受けた遠山啓の講義は、「量子論の数学的基礎」というものだったそうです。その内容は「量子化された物質粒子の挙動を描写するために必要な数学的な背景と概念をはっきり与えようとするもの」だったとのこと。
わたしははじめて集合・群・環・体・イデヤアル・ヒルベルト空間・演算子などの概念に接して、びっくりしていた。そしてむさぼるように講義を聴きつづけた。敗戦にうちのめされた怠惰で虚無的な学生のわたしが、一度も欠かさずに最後まで聴講したたったひとつの講義であった。
吉本隆明は遠山啓に講義をしてくれと依頼にいった学生ではなく、「そんな殊勝な心がけなどすでにひとかけらも持ちあわせていないどん底の落ちこぼれ」だったそうですが、だからこそこの講義に衝撃をうけたのだともいえる、と書いています。
遠山さんには敗戦の打撃からおきあがれない若い学生たちの荒廃をどこかで支えなければという使命感が秘められていて、その情感と世相への批判が潜熱のように伝わってきた。それを理解することが数学上の概念を理解することと同一であった。
なお、吉本隆明が数学者としての遠山啓に接したのは、「拡張された因子および因子群」の発表を聴きにいったのが最後だったのだそうです。
吉本隆明のイメージの中では、晩年の遠山啓は「新たな視点から数学基礎論の建設に向おうとしているようにおもわれた」とのことで、著書『代数的構造』を引きながらその萌芽について語ったあと、次のように書いています。
数学者たちはつぎつぎに<構造>を融解して新たな構造をつくりだしてゆくにちがいない。だがかれらはじぶんたちが何をしているのかを内省し基礎づけることはありえない。ここで内省とか基礎づけとかいうのは、数学者たちがひとりでにやっているフッサールのいわゆる(einklammern)を解除してみせることに該当している。その内省を介して数や図形の集合の意識学ともいうべきものが<構造>の無限の上昇と、事実や自然の世界とを結びなおさなければならない。
遠山さんのもっていた哲学と文学の素地は、おのずからその方向をさしているようにおもわれた。
そしてこう続けます。
あの徒労にも似た強靭な数学教育の方式の創設と実行の背後にあって、遠山さんをささえたのは基礎論の研鑽と整序された構想であったろう。
2011.08.02 Tuesday
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