【風水の科学は成立しない】
民間伝承的にものに、
合理的理由を求めたがるのは、
現代人の合理癖のようですが、
なにでも、かんでも、科学的だと解すと、
裏切られるというか、撥ね返されます。
また、アインシュタインのように、
宇宙神秘主義を抱えていますが、
極度の合理性の反対極には、
極度に不合理なものを設定しないと
バランスが取れないのが、
キリスト教圏の人々の癖で、
非キリスト教圏の人たちがキリスト教をみると、
これは、もう、キチガイか、狂信か、クレイジーか、
カルトか、オカルトか、いずれかなんです、ね。
そういうファナティックな要素が彼らの日常生活に
入り込んでいますから、その反対極に触れるのも
極端になります。極度の科学的合理主義というものを
提出することが可能になってきます。
日本の場合は、戦前の国家神道が
上からの近代化に利用されることに対して、
民族的なトラウマが発生しているようで、
その対極が、アメリカから与えられた民主主義、
ということになります。
まるで、大江健三郎のように、共産党の連中は、
民主主義をありがたがっています。
独裁でさえ、民主集中だ、として。
詭弁もここまでくると、ははん、政治言説だということが
自己暴露されます。
反権力集団というのは、現行権力組織の縮小版になるのです、よ。
さて、芸能人で、
風水に凝っている人はかなりいるところ、
また、風水師でも、権威がないと思ったのか、
実は、神主です、とか、そういうものを持ち出すのもいます、ね。
どこの神主かとさぐると、
それは、根の国、底の国につながる筋の悪いところ
だったりして。
何でも風水師の手にかかると、
これは、もう、詭弁集が出来上がります。
断定に次ぐ断定、これしかないので。
しかし、世の中には、結果オーライが優先されますので、
そうした詭弁もご愛嬌として許容されているようです。
こういうのは、鰯の頭も信心商法ですから、
風水の科学は成立しないし、
そもそも、集合幻想に関する問題ですから、
科学とは結びつかないのです、ね。
そもそも、風水に科学を求めること自体が、
幼稚な思考回路になります。
逆にいうと、科学に騙される人たちも出てきます。
科学教という迷信的な情緒の中で
生きるのはときに心地よいので。
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