【集団表象の祭儀化救済】
感情優位による意識の消滅を
ユングは、危険とみる。
意識の消滅により、憑依に席を譲るとみる。
古代の祭式、祭儀を
そういう憑依からの離脱と
ユングは解釈する。
また、そのように、人類は、工夫をこらしてきた、と。
つまり、個人的原危険は、集団表象により、
救済されてきたのである、と。
しかし、集団表象は、その個人的原危険を煽る場合が
あることは、歴史を回顧してみれば、一目瞭然であろう。
悪霊を封じ、魔法を解き、悪の前兆を、集団表象が
回避してきたとは、ユングのようには、必ずしもいえない。
その逆もあるからである。
祝と呪は、メダルの表と裏の関係であり、
解放の極に抑圧が存在する。
そうした両極の葛藤にユングは、耐えることができない
のであろう。
ナチズムに対する緊張は、フロイトにはあるけど、
ユングには、格別の緊張が見られない。
ナチス神話に対抗するユングの対抗神話が構築された
とはきかない。
いまでは、全体主義への対抗神話は民主主義神話であろう。
そういう集団表象を構築するのは、もはや、単なる
心理学の問題ではなく、政治的なプロパガンダの世界の問題
となる。
ただ、ユングの場合にいえることは、
葛藤の解決を東洋的シンボルに見出そうとした、
これだけは確実であろう。。。。
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