【説話詞章、説話文学としての民間伝承】

【説話詞章・文学としての民間伝承】


偶然の力はすごい。
ふっと\105で入手してから、
シリーズをほぼ全制覇です。
中川○蔵さんのインタビュアーに彼が
登場してきます。
まぁ、最初、やはり、食わず嫌いでした。
前に、インタビュアーからされる側に回ったものを
拝読したときは、逆に、だから、あそこが○○なのだと
解していました。
ある程度、仏式の連中の思考回路がみえてくると、
ああいうのは、真に受けるというか、
説話詞章、説話文学としてみればいいじゃん、
と受け止めることが可能になってきました。
全自動篩機にかかると、
拾遺するものが自動選別されていきます。
注目するところは、ありがとう呪文の発生起源の
理由づけです、ね。
彼は二重の意味を付与しています。
一つは霊的召喚として、
二つは霊的防衛として。
きっと、
受け止める翼の角度が広がったのでしょう、ね。
で、見えてきたことは、
宇宙法則としているものが、
仏説的な因果連関物語であること。
ということは、日本霊異記とリンクしなさいよ、と
メッセージを受け止めました。
さらに、宇治拾遺にすすむと、
ジョーク集と遭遇しなさいよとの
メッセージに受け止めることが可能になります。
古代祭祀装置の一つに、
仏教説話を組み込むきっかけが
出来たようです。
神式と仏式の習合ということです、ね。
まぁ、柳田國男は、
仏式説話を回収しないというか、
解釈を神式にしていくのです、ね。
そういうところに、仏式系の人は、不満を漏らします。
『先祖の話』にしても、神式のほうに引っ張ります。
いろんな民間説話の材料をどう料理するか。
その料理、解釈の仕方において、
神式的と仏式的との二つにまずはわかれるのでしょう。。。。

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