【腰痛殺し屋=腰痛キラーという名前】
哲学訓練を経ていない人は、
積極哲学とか、
ポジティブシンキングとか、
おめでたい精神世界論などに、
かんたんに、
ひっかかり、取り込まれます。
そもそも、批判的に読むことを知りませんから、
かんたんに、何かと一体化する、
狂信的に何かを信仰するような体質になっています。
そこには、何かを妄信する熱情があるのみ、になります。
もっとも、悪いとはいいませんが、
何かの単一価値を絶対化して信奉し、
他の価値を排除するのは、
一神教の精神構造の持ち主によく起きることです。
神は、善神と悪神の両極神から構成される、とは
思わないのです、ね。
振り子が両極に触れるのが現象の常であり、
善を求めつつ、悪を成す。
そういうパラドクシカルな現実を
人間の主観認識が容認したくないという
主観願望が、現実を見るを眼を曇らせます。
もっとも、グノーシス主義の善悪二元論は、
悪を地上に配置し、善を天上に配置するという
善悪の垂直分業をしているだけですが。
それで、
殺す、というと、
おめでたい人たちは、びくっ、とします。
人を呪うと、自分に返ってくる、と。
穴二つ、とか。
呪うことと、返ることとの間にいかなる橋が
かかっているのかを問うことをしないですね、
おめでたい人たちは。
だから、殺す、というと、びくっとして、
不安と恐怖に苛まれます。
殺すというのは、不要のものにするという
技術者の特殊用語があります。
何かを殺して、何かを生かす、と
そういう意味で、技術者は、「殺す」という用語を
使います。
また、生きるを善、死ぬを悪、と
単純分化しますが、
人間は死ぬようにできていますから、
生きてばかりいると、
この地球は、人間であふれ返します。
だから、大往生をさせることは善なのだ、
という理屈が発生することも、
頭の悪い人、頭の固い人は、容認したくない。
単純に、都合の悪いことは見ようとしないですね。
最近のマンデルの正義論でも、
5人殺しと1人殺しは、
どちらが正義か、
という妙な問いを発します。
おめでたい人たちは、
そういう正義論についていけないでしょうね。
というのは、殺すことは悪いことだ、と
単純解釈していますから。
だから、
死刑執行は、人を殺すことなので、
悪いことだ、と。
戦争も殺しなので悪いことだ、と。
法律の中でも、
刑法は哲学要素を一番多く抱えています。
かのドラッカーでさえも、
自分にはそういう哲学要素がないので、
法律専攻をあきらめたのです、よ。
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