本居宣長研究ノート「大和心とは」
古事記伝に入るまえのイントロとして、
『直毘霊なおびのみたま』を手引きとするように
とのヒントの提示がある。
つまり、
古事記に注釈をつけることで
何を明らかにしたいのか。
あなたの目的ははっきりしているのか、と。
無目的で何かを検討、研究するワケもなかろう、と。
で、現代語訳をプリントアウトしたあと、
『直毘霊』を調べていると、
『本居宣長研究ノート「大和心とは」』
というHPで、「なおびのみたまの」を読むという
シリーズがあり、それを拝読すると、
目から鱗というか、なかなか興味深い記述が満載だった。
対話形式で、シリーズ8回分が紹介されている。
第四回あたりには、
ドイツ語の関口存男先生の「意味形態」の
解説まであったりして、
ずいぶんと懐かしい感じでした、ねぇ。
また、古事記には、論理はない。
なぜかという理由もない。
あるのは、「コト」の羅列であり、
情、感情からみると納得できる「こと」であるとも。
まぁ、神話というのは、感情の投射されたもの、
という側面はあるでしょう、ね。
万葉集に感情移入ができる人は、
古事記神話に入ることができるでしょう。
つまり、感情的に同化できれば、
古代世界を再生復活させることが感情上において
可能になる、と。
そうでない理詰めの人は、
神話世界にそもそもご縁がない。
また、必要ともしない。
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