【折口信夫・古代研究民族学篇1】
折口の感覚にとっては、
神代即今、
今即神代、
という感応力があるので、
古代の神代の感覚を再生し、蘇生する。
類感呪術力がそもそも備わっている感じである。
最初、折口の書を手にしたのは、
中公バックスの『古代研究1』であった。
言霊感覚の鋭い人は、国文学の発生、から入るのが
よろしいのかもしれないところ、
こちらは、神語パワーの感覚の蘇生に関心があるので、
民俗学篇1から入門した。
しかし、収録から漏れているものは、
青空文庫から補充することになった。
御柱の話、御柱神事の意義など、
間接的に触れているものは、祭りに関する論考であった。
盆踊りなどで、どうして、櫓の周りを
ぐるぐる廻るのか、・・・・・。
あまり、深い洞察があるとは思えないところ、
柱は、階(キザハシ)であるとして、
それは、天と地を結ぶ橋の役割を果たす、と。
それ以上の洞察はないようである。
また、壱岐島あたりの神道は、
ほとんど、陰陽道との両建てであり、
そこの神職者たちは役霊使いをするという。
沖縄あたりも、そうした琉球神道が
根強く残っているところであり、
南島論のネタにされている。
ここは、石に神性を感じるところが深い、という。
まぁ、この古代研究の民族学篇だけでなく、
他の民族学篇、日本民族各論、なども
補充することにした。
国文学、日本文学の発生論というのは、
神語、呪詞の発生論であり、
それは、間接的に、神道神学の周辺を探ることに
なっている。
柳田国男と比較すると、
弟子から批判されることなく、
さらなる結束がみられるようである。
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