【折口信夫の祝詞研究ノート】

【折口信夫の祝詞研究ノート】


実際の祭儀装置を重視するのは、事の人です。
理でもなく、情でもなく、霊でもなく、
事実、行為、現実にかかわるものとして、
具体的な文化装置としての儀礼、
この儀礼装置としての「祝詞」を折口信夫は重視しています。
体質がシャーマン体質というか、霊媒体質というか、
憑依体質というか、神的なものにかんたんに移入できる体質
のようです。
そして、そこから言霊のエロスが発散していきます。
それが同類に向かうとホモセクシャルに。
まぁ、実質は、プラトニックラブの日本版でしょうか。
真床覆衾を介してのタカミムスビによるニニギノミコの降臨。
それが天孫降臨のエロス性の極致感覚なのでしょう。
祝詞の解釈については、
『祝詞新講』の鈴木重胤とは、
体質に異なりますから、
かなり対立的な解釈を折口はしていきます。
鈴木重胤先生を手引きとしているのは西郷信綱のほう。
こちらの西郷先生は、合理化の癖がついていますので、
古代的情念の再生・再現からは遠のくようです。
そのかわり、
ひょっとすると、現代的な感覚に適合するかもしれない。
さて、モノゴトを賞賛する技術を磨くと、
喜ばれる方が増えてきます。
もっとも、賞賛する場合は、
心底からの賞賛と、
畏怖するがゆえのお世辞上の賞賛と、
二通りあります。
どちらも使えるようにしておくに越したことはないです、ね。
怖いもの、恐ろしいものは、祭り上げると、その存在は、
お喜びになられるのだ、とか・・・・・。
そうした感覚が太古の感覚のようです。
すると、敵であったものが、味方に転換していく、と。
これは、もう、太古の人の智慧でしょう・・・・ね。

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