【折口信夫の「御柱の話」(別巻1)】
古事記の巻頭近くにある
諾冊二尊の左旋右旋の記述について、
一般的には、
男=左、女=右、の配置は、
往昔の男尊女卑の思想があると解説するのが、
通説のようである。
しかし、
この左、右は、どこの位置からみるのかにより、
左右は入れ替る。
コイル神話学からすると、
垂直軸においては、
女性のエネルギーの流れは、
右回転螺旋から吸収され、左回転螺旋へ排出する、
男性のエネルギーの流れは、
左回転螺旋から吸収され、右回転螺旋へ排出する、
という仮説を立てている。
これが無誘導コイルのエネルギーの流れでもある。
その場合、排出結果から見ると、
男性は、白Egを排出し、
女性は、黒Egを排出する、となる。
吸引状況は、
男性は、黒Egを吸引し、
女性は、白Egを吸引する、となる。
吸引と排出のどちらを重視するかというと、
あきらかに、何が排出されるのか、である。
もっとも、コイルの場合は、
端末処理の仕方次第で、
吸引・排出構造を変更することが可能となる。
また、宝石をコイル接続することにより、
エネルギー性質を変換することも可能である。
さて、折口信夫が『御柱の話』をどう展開しているのか。
未検討であるも、通説のごとくの解説に終始しているとは
思われない。
だが、当時のコイルに対する認識具合からして、
男性が左から右へ回ることと、
女性が右から左へ回ることを
エネルギーの性質として展開しているとは思われない。
普通は、単に、
男性が左から、
女性が右から、
回転するということだけの解説に終わっている。
そこから、
男性が左から右へ、
女性が右から左へ、
という右と左の連接具合に着目したものはないようである。
古事記神話で注目するところは、
唯一、この御柱をめぐる回転方向と、
その回転方向の性質問題である。
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