【折口信夫と神代研究】
○○と○○のコード解読、
という問題提起を大谷先生から受けて、
というか、
ちゃんと本には書かれているのですが、
問題意識が異なると、
重要性のポイントがずれるようで、
対生成の原理に着目はしても、
宇宙生成の原理をこちらは別途には立てていないこと、
つまり、
ことさらに、生命誕生原理として、
対生成の原理を立てずに、
こちらは、エネルギー生成の原理を対生成に求めていた
ということになります。
つまり、こちらの発想の根源は、
物理的エネルギーの生成問題への関心にあり、
生命エネルギーの生成問題ではなかったこと。
したがって、人格神を立てることは、これまでしていないです。
自然神の一つとして対数螺旋式を立てています。
その他に数式の自然神を立てています。
人格神を立てるよりは、
もっと低いレベルの精霊、スピリットへの役神化、
こちらのほうが、実用的だと解しています。
人格神という倫理神、道徳神、
そういう人間主義に引き寄せた発想をこちらはしない。
もっと、厳しい自然神を前に出していますから、
祭り方次第では、おろそかにすると
祟り神系化する要素を内臓しています。
何かを役神的に使う場合、ものごとの両価性が
作動しやすくなりますので、ご注意です、よ。
世の中には、否定の万能感に酔いしれるのが
かんたんなので、厄病神、祟り神を演じられる方が
おられます。
頭が優秀であるがゆえに、かんたんには、自滅しない
装置まで工夫しています。
残念ながら、彼らは容易には自滅、破滅しない。
だから、確実に、害悪を振りまいていきます。
しかし、
その対策は、ほぼ、出来ていますので、
ただいま、その装置の実験中です。
ただ、相手が頭の優秀な連中が多いので、
こちらも、頭の程度を競っているところがあります。
つまり、頭脳勝負をしているワケです、ね。
さて、折口信夫と神代研究。
神代のことにかかわる場合、
折口感覚というものを重要視します。
つまり、死神をフレンドにしたその感覚の重視です。
彼は霊魂の不滅を仮説していますので、
霊魂には生死はない、というところからスタートします。
彼が使う役神は、河童神、のようです。
こういう低いところの精霊、スピリットとの付き合いから
何かが始まる。そういう素養を神代研究をするときに、
要求されるということです、ね。
素手で立ち向かうのは、無謀でしょう、ね。
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