【折口信夫と相曾誠治の比較検討】
情と理と霊を兼ねたのが折口信夫、
霊と理と事を兼ねたのが相曾誠治、
ともに、神道再生を目指しているところ、
この異質な二人を付き合わせると、
それぞれの論点が明確になるのではないかと、
密かに仮説している。
相曾誠治の著作に柳田国男は一回登場するも、
折口信夫について、触れるところがない。
これは、隠しているのか、遠ざけているのか、
不明であるも、神道知識は、折口に依拠しないと
わからない点がかなりある。
もっとも、折口先生は、行をされる方ではないので、
神道の行法として何があるのか、
それは、実践の人・相曾誠治を
探らないと出てこない。
また、不思議なことに、
折口先生の著作の中で、
本居宣長の古事記伝に触れたところを
みないことである。
どこかで触れているのであろうが、
いまのところ、少ない検討の範囲内ではみない。
こちらが、古事、古伝を検討していくのは、
そこに、太古の叡智が発見されるだろうとの
見通しがあるからである。
由縁のないものは、継承されない。
継承されているものは、由縁のあるものである。
そういう見通しを抱いている。
コメント