【宣長から神道に入るという感覚】
宣長は、漢心の排斥に急なので、
没後の弟子たる平田篤胤あたりは、
苦心惨憺たる模索を重ねます。
死ねば黄泉の国に行くという師の説では、
魂の安定が得られない、と。
命をかけて、死を賭けて、
何かに取り組んだことの意味づけを
篤胤は必死こいて探索するところ、
最終的には、何に行き着いたのかは不明です。
顕事と幽事の区別にいたるも、
所詮、政治の世界は顕事の事象であり、
権力から遠いか近いかにより、
その人間の生活が決まるというまでのことになります。
異国といかに対処するか。
それが幕末の志士たちの問題意識でした。
そして、日本固有のものは何か、
さらに、異国といかに付き合うのか、
それは、いまでも、共通する問題意識になります。
大きな政治神話を構築しないと、魂の安定が得られない人たち。
こういう人たちは、確実に存在するようです。
被差別の律令体制が終焉したとか、
東京遷都だとか、
いかなる根拠に基づいて発言されているのか、
不明のところ、
王権ゲームをもてあそぶ人は確実にいるようです、ね。
そういえば、王様のゲーム、という小説は、
バトルロワイアルの今風版で、ジュニアの間で、
気になっているのだ、とか・・・・。
へぇーーーーー、でした。
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