【外道念力VS大日如来加持】
不信の者が、「信の構造」を探索していく。
それは、信と不信の境界を払うためでなく、
信と不信の違いを確認するためであったのは、
吉本隆明であった。
まぁ、彼が親鸞に魅かれるのは、
やはり、悪人論であって、
不信の徒の救済問題であった。
業が深い人は、そこまで、突き詰めるのであろう。
こちらは、仏教は説話詞章と考えておくのが
無難で、業界外人間としては、
迷路な論議に入ることはしない。
ただ、実用性として、施療する者は、
真言系が多いことに注目しているだけ。
日蓮系、法華経系は、
呪詛調伏、呪詛折伏の祈祷呪術が得意である。
そこは、人の悪口、批判は、徹底している。
口は禍福の出入り口であるところ、
こちらも、
レトリックとして日蓮系から拝借したことが
あるので、抜けきれないのかもしれない。
まぁ、日蓮系というのは、狂信的なのがやはり多い。
一神教のキ印に近い体質がある。
まぁ、大日如来加持をする人からみると、
こちらの念力のレベルは、外道のようです。
どうしてかというと、悟りを求めないからだ、と。
しかし、宗教者でない者は、格別の悟りを求めない。
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