【因縁転換は自己転換が原則】
仏教系は、因果連関を立てることが
お好きなようです。
先祖供養を言うまえに、
先祖より格が上のものは何か、
そんなに先祖が立派なのか、
立派なものは他にもいろいろあるではないか、と
問いを立てていくと、
それなりに言説戦略があることが了解されていきます。
さらに、菩薩、如来より上があるのではないかと
問いを立てていくと、宇宙神秘主義に到達します。
そこから先は、見えない世界なので、
見えない世界に対して、勝手に、自己想像していくか、
諦めるか、いずれかになります。
しかし、究極の宇宙神秘主義を立てないでも、
ものごとは解決されることがあるので、
究極の原理を立てたがるのは形而上学的欲求であり、
それは、西欧的理性智が行くつく果てです、ね。
その実体、本質が何であるかは不明でも、
宇宙統一の原理があるのではないかと
仮説することは、各自の自由の領域に属します。
ということで、どのレベルでものごとを考えているのか、
それで、各自の存在のあり方が決まっていくようです。
まぁ、仏教系の思考回路の癖は、
なにかと因果連関を立てる癖があること。
すると、それに対応する想念形体も形成されること。
さて、
アジア宗教では、バラモン教、ヒンズー教、仏教、儒教、道教と
各種あるところ、それとは別に、土着の習俗的な呪術もまた
根強く残っています。
個人的な特殊経験にとどまる限りは、
特殊の個人的な呪術的なものにとどまり、
普遍化への方向には向かわない。
また、日本の仏教でも、注目されるのは、
こちらの感覚では、鎌倉仏教以前です、ね。
初源的なもののほうがフレッシュな感覚があるからです。
日本最初の仏教説話である日本霊異記あたり、
このあたりがフレッシュな感覚に溢れています。
ワケのわからないものにどう対処するか、
そのとまどいと、戸惑いの中での受容と、
日本的な仏教受容の情調がそこにあるようです。
他方、神道では、あるがまんま、なすがまんま、という
不作為面が強いですから、ダイナミックな展開というものは、
仏教に押された面があるのは仕方ないでしょう。
最初、こちらの神道とのかかわり方は、
行法の中に、生体調整のヒントがあるかという
実践的観点からの接近でした。
こちらは、なまじ、分別を立てないので、
教義を振り回すのが嫌いな人には向いていると解されます。
こちらが注目するのは、古事記の御柱を巡る二神の旋回であり、
そこに、コイルの秘密に符号するものがあると仮説しています。
もっとも、コイルの原理は、
物性物理学、電磁気学、
このあたりがヒントになっていますので、
宗教的なものの探索は、その裏づけ調査という
程度で、あくまでも、従であり、副です。
しかし、腰痛にも、
心因性腰痛症がみられるように、
心因性に対して、どう対処するのかといっても、
これも、物理的に調整できるところがあり、
必ずしも、心因性のレベルだけで解決されるものでないと
解しています。
心因性というのは、かんたんに、
物理的にエネルギー転換すると、
解決される要素があるとも仮説しています。
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