【各宗派の霊的因果律とその解除】
各宗派は、
各派なりの霊的因果律というか、
物の見方をしていきます。
個人の物の見方は、
かなりぐらつきますが、
組織、宗派を組む場合、
個人的なものから離れて集合的な因果律を
構築することにより、それに制約されることを
受け入れることにより、安定するという集合的な癖が
あるようです。
つまり、個人心理と集合心理とは別だ、
ということです、ね。
いかに、個人的に逆らおうにも、
いかんともしがたい集合性というものが
あると解すのが無難なことが多い。
で、各宗派が構築した霊的因果律というものは、
個人を超えたものと解すのが無難です。
さて、往昔、検討したことがある
豊島泰国の『日本呪術全書』は、
各宗派の祈祷法を紹介しています。
それは、各派の集合的な営為の結果でもあるし、
成果でもあることでしょう。
また、こうした総論的で事典的なものは、
すぐには頭に入らず、数年振りに振り返ると、
各論撃破を目指して、その使えるところと、
その有効性を破る弱点は何か、と
そんなことを模索しているということが了解されます。
今回、偶然にも、法華日蓮系の祈祷法の有効性を
検討しているところ、
各派なりの努力というものがあるのだと感心します。
逆にいうと、各派なりの問題を抱えて、
その宗派内の問題解決に当たってきた、と。
まぁ、一等苦手なのは、密教系ですが、
あの真言の意味不明性というものが、
使いづらいし、慣れないものの最たるものになっています。
こちらからすると、あの真言は暗号にしか思われない。
また、陰陽道系が使う霊符は、
エネルギー透視をしたのみで、
どのように霊符が構築されていくのかの文法に
ついては、こちらはあまり詳しくもないです、ね。
梵字と真言と霊符以外の言霊と図形については、
それなりに理会していくことは可能です。
コメント