【先祖を巡る柳田國男と折口信夫】

【先祖を巡る柳田國男と折口信夫】


降伏=光復としたり、
終戦=勝利としたり、
と、
8/15を巡り、いろんな行事あった様子であるも、
9/2を正式の記念日にしたりと、
65年前の出来事の祭祀鎮魂のあり方が、
国により、異なるようです。
まぁ、いかに歴史教育と歴史認識を区別して、
歴史認識を深めたとしても、いまの現状が変化することは
まずないです、ね。
戦争に負けたのは、世界認識がなかったからだと
勝手に思い込んで、戦前の皇国少年と戦後の民主少年の
両極を振幅することにより、こんなに天皇制は軽くて、
いいのかを巡り、その後の生き方が分岐していった。
また、靖国問題とは、死者の声が聴こえる、あるいは、
死者の声を代弁するという死没者の慰霊を巡る争闘でもある。
死者の鎮魂慰霊が不十分であるとするのが、
各国の戦後処理問題の論点の一つであり、
死者の慰霊鎮魂を巡る主導権争いでもある。
いつまでも、過去にこだわるのが大陸系の特徴のようで、
ならば、三韓征伐というのは、何なのだろうか。
あるいは、白村江の戦いにまで、怨恨を遡及させようとするのか、
まぁ、領土問題は、中国のチベット侵攻を見てもわかるように、
政治力学、軍事力学で決定されてしまう要素が濃厚である。
北朝鮮などは、中国の北朝鮮自治区みたいなものであろう。
さて、死んだ者は、死んだあとどのようになるのか、
という問いは、死者の存在を前提としている。
だから、死んで終わりと思う人には、靖国問題は、
無縁の問題のはずである。
それで、灰を海に撒いてくれとか、どこかに撒いてくれとか、
そういう人もでてくる。
まぁ、生きている者の存在だけでなく、死んだ者の存在を
想定することにより、墓の存在、先祖供養、先祖の存在、
などの問題が提起されてくる。
で、柳田國男の一つの解が、
死んだ者は、先祖となり、神となる、と。
そして、その先祖神が末裔たちを見守るのだ、と。
他方、折口信夫は、先祖問題の先に、逆に、先祖を作りだした
産巣日霊、うぶすな、そういうものを想定していく。
つまり、生と死を巡る蘇生の問題として、捕らえなおす。
死んだ者の存在が先祖であり、
そうした死者存在がいまの生きている者に
干渉し、影響を与えるとする考え方がある。
まぁ、こちらは、なるべく、先祖の干渉を
遠ざけておきたい。
だから、鎮魂慰霊することにより、先祖を遠くに祭る、と。
しかし、なかには、反対に、
身近に引き寄せ、先祖霊の加護を受けようとする
人たちも存在する。
で、先祖との付き合い方は、
祭祀儀礼装置として、処理し、
過去の亡霊が静かになるように
鎮魂儀礼をしておくのが無難であると、
こちらは解しています。
歴史探索するとは、
いかに、祭祀儀礼化して、
問題を複雑化しないように配慮するか、
ですね。・・・・・

コメント

タイトルとURLをコピーしました