【仏式思考回路の合理化癖傾向】
仏教説話で、説教臭くないのは、
今昔物語で、
これは、霊験とか、不思議なこと、
そんなものをただ紹介しようとする姿勢が濃厚であること。
まぁ、今の人から見ると、
そんなばかな、そんなあほな、という物語が
収録されています。
往昔、ちらっと、マンが今昔物語を拝見すると、
その作者は、水木しげる先生でした。
往昔、テレビで、鬼太郎を見せられたという感じで、
化け物、妖怪系への関心は喚起されたことはないですね。
いまでも、さほどというか、ほとんど関心がないです。
ただ、水木しげる先生のお話の中で、
金が欲しいと願っていたときに、
空にカナダマ金霊が浮かんでいるのがみえた、
という話に、興味深いものを感じました。
当時、先生が、貧乏のどん底におられたときの話です。
そのカナダマを見て以来、講談社から仕事の依頼が増えたのだ、
とか・・・・・。
悪魔の力を借りてでも、貧乏から脱出したい、と
水木先生は、願ったというお話です、ね。
世の中には、悪魔の力を借りてでも、という発想が
おかしい、という善意に溢れた方がおられます。
まぁ、そういう方は、貧乏の経験がないので、
おそらく、感情移入ができないのでしょう。。。。。
ということは、ファウスト博士の物語も、
どうして、ああしたものが書かれるのか、
理会もされないでしょう。
もっとも、ファウスト博士の物語は、
仮に、拝読したとしても、ゲーテがどうして、
ああいうものを書いたのか、実は、よくわからない。
ゲーテ自体が、ああした経験があったとしか解されない。
シェイクスピアにしても然りです。
ああいう惨酷性へ感応する要素があったとしか
思われないです、ね。
さて、往昔、仏教思想を検討していたころ、
やはり、鼻につくのは、
妙な因果連鎖の物語を構築することにより、
何かを合理化しないと気がすまないという
仏式思考回路の癖ですね。
どうも、これが鼻につくわけです。
なんで、そこまでして、辻褄を合わせたがるのか、と。
何か、とんでもない不条理経験があったのか、と。
ん、まー、仏式思考回路の持ち主は、
合理化癖というか、辻褄あわせというか、
物知り顔になることに憧れているというか、
何かわかった振りをするのです、ね。
わたしが不思議に思うのは、
やはり、発祥の地で根づかなったこと、
ここに最大の謎を感じています。
また、日本における蘇我と物部との戦いにしても、
輸入仏教が勝利していく過程がいまいちこちらには、
わからないのです、ね。
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