【ユング的発想は白川静に行き着く?】
どうも、ユングの場合は、
個人救済の問題を
集団表象救済の問題に見立てる癖がありそうである。
つまり、集団表象の改善により
個人の問題が解決されると、見る癖がありそう、
ということである。
で、ユングは、東洋的シンボルの中に
その集団表象救済を見出そうとするのだが、
その東洋シンボルとは、ずばり、象形ではなく、
漢字となる。
というのは、記号的なるもの、象形的なるものは、
格別に、東洋固有のものではないので。
東洋シンボルの固有性とは漢字である。
となると、
白川静先生が、漢字の中に、祝と呪の記号体系を
見ようとする姿勢に、何かつながるものがでてくる。
そして、つまるところ、
祝の前提となるのは、呪であること、
つまり、邪悪なるものを鎮めること、祓うこと、
これが、祝祭、祭儀、祭式の大きな要素でもあることに
彼は気付くはずなのだが、ネガ消去については、
ユングはあまり触れようとはしない。
このあたりにユングの癖がありそうだ。
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