【ユングの課題は救済演出劇である】
さて、ようやく、
フロイト的世界から離脱して、
ユング的世界への移行である。
というか、
人間には、
フロイト的タイプと
ユング的タイプとがあり、
そうしたタイプの相異を通じて、
こちらは、どう対応するか、
あるいは、彼の悩んでいる問題は何なのか、
その解読の手がかりとして、
上記二類型を設定するのである。
もっとも、典型的なタイプ分けは、
野口整体の10の体癖の分類であった。
しかし、これも、固定化してしまうと、
ドグマ的なものに転落していく。
こちらとしては、
野口整体の10分類の体癖は、
依頼人の背景を読むための手がかりにしているだけ
である。
で、この野口整体の体癖論は、
はたして、
フロイト的なのか、
ユング的なのかというと、
やや、ユング的発想をしているのではないかと
感ずる。
人間の救済装置を
無意識に設定し、
その無意識装置を肯定的なものに
仕立て上げるのが、野口整体の体癖論であろう。
まぁ、そういう癖があるんだから、
仕方ないじゃないか、と。
その癖を生かしていくのがいいんじゃないか、と。
だから、肯定的に反応する回路は、
何なのか、そういうものを野口晴哉は探索したのである。
フロイトが息苦しいのは、
追い込む姿勢があるところである。
救済劇を演じるというよりも、
分析劇を演じて、人類のネガ的要素へ
融解していくことによる重い救済、
だから、気分的に、明るくなるという要素が
フロイトの場合に、やや少ない。
ユングあたりが耐えられなかった点は、
そういうところであろう。
もっと、明るくならないか、と。
プロテスタントの偶像破壊などを見ていると、
ユングは、シンボルが次から次へと破壊されていくことに
耐えられないワケである。
キリスト教のシンボルに代わるものはないのか、と。
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