【ニーチェの善悪の彼岸と道徳の系譜】

【ニーチェの善悪の彼岸と道徳の系譜】


ニーチェの敵は、
キリストとソクラテスです。
どうしてかというと、
ともに、倫理的だから。
倫理的であるということは、
奴隷道徳であり、嫉妬がその根底にある、と。
だから、自分の弱さをカモフラージュするために、
弱き人たちは、倫理を発明したのだ、と。
では、強き人は何を目指すのかというと、
超人を目指すことになるが、
では、超人とは一体どんな人となると、
ニーチェは語らない。
従来価値の転倒を目指すのはいいとして、
その転倒の先に何があるのか、
わからないので、普通の人は、引いてしまいます。
思想書というものは、
いかなるものであれ、
追随する人が多いところ、
単なる祖述で終わる運命が待っています。
とはいえ、
愛という抽象性にまで思想が高まることにより、
普遍性を獲得していったのはキリスト教であり、
極限価値を提示すると、そこから先が出てこなくなります。
だから、民間に流布するためには、
土着的なものと習合していくことになり、
歴史の風雪を重ねていくと、
次第に、祭儀装置的なものに変質していきます。
そういうときに、新教が登場したりしますが、
奴隷道徳の亜種というまでのことになります。
まぁ、物質的豊かさが、
思想を圧倒することもありますから、
世の中が豊かになっていくと、
倫理だとか、道徳というのは、
その薄皮がはがれていくのでしょう。
ニーチェの超訳とか、
超訳資本論とか、
名著が形を変えて復活していくようですが、
古典も解説次第で読まれるということは
いいことです。
しかし、どんなものであれ、
それが使えるまでに消化されるのかは
別問題になります。
まぁ、
宗教を手篭めにできるのは、
神学であり、逆にいうと、
宗教を祭祀装置化する神学があればこそ、
誰にでも利用することが可能になります。
だから、官僚と神学は結合しやすい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました