【いま折口信夫と土橋寛の系譜上に】

【いま折口信夫と土橋寛の系譜上に】


柳田國男をあまり好まないということは、
やはり、こちらは、文献主義派の系譜に
位置しているようです。
特殊に存在しているものが
格別に価値あるとは解していないですね。
特殊の束の中に価値あると認めるのは、
別の立場からの判断であり、
その判断主体の正体は、
いまのところはわからない。
あとは、直感によるというだけになります。
往昔は、柳田國男、折口信夫などの
民族系に、興味もなければ関心もなかったところ、
いざ向き合うと、こちらの文献主義派の素質は、
隠せないようで、こちらの素地が出てきます。
しかし、訓古註釈といえども、
註釈の立場が出てきますから、
その立場というのは、もはや、
客観化しえないあるものです。
客観性に偏りすぎると、概念装置を振り回すだけに
なっていきます。
すると、色気というか、情念というか、
そういうものが薄まっていくだけです、ね。
しかし、註釈するとは、評価主体の価値が絡みますので、
最後には、神々の争闘があるだけになります。
そこには、主観VS主観、妄想VS妄想のバトルがあるだけ。
まぁ、平和主義者は、なまじ知った被りをしないのが
よろしいようで。
概念装置の雨あられの銃弾を打ち込まれますから。
何かの主張をされるというのは、
それなりの覚悟を要求されます。
批判にさらされたことのない発言というのは、
鍛えられていないので、
か弱いというか、磨きがかかっていない。
言論の銃弾はどこから来るかは予測はできない。
最近の内田樹のブログが冴えないのは、
調子に乗りすぎて、自らがこけた結果です、ね。
遅れマルクスとともに、歴史のごみ箱に直行です。
もともとは、ユダヤ派ですから、持ち出すのであれば、
古代ユダヤ教を持ち出すのが筋です、よ。
まぁ、自らを祖述者として自覚されていますから、
あくまでも、祖述に徹してくださいませ。。。。

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