【いまどきどうして吉本隆明なのか?】
最近は、ひょんなことから、
『共同幻想論』を読み返して、
面白いと感じてしまいました。
で、『信の構造Part3 キリスト教論集成』の
「宗教と自立」において、
共同幻想論提出の大きな背景が、
党派性真理はいかにすれば克服できるか、
つまり、普遍的真理へ、人は到達できるのか、
という形で語られていたこと、
たしかに、往昔、吉本と対決したときは、
共同の実在性と、
党派性擁護という二点において、
吉本にさよならしたはずであった。
自然科学と違い、人文系、社会科学性は、
党派性にもとづく諸共同性を巡る観念のバトルで
いいんじゃないか、というほうに、
こちらは肩入れしたというか、
実務家としては、吉本的な立場は取れない、
ということで、往昔、片をつけたつもりである。
彼の問いの立て方は、
あくまでも、党派性を超える真理の普遍性はあるのか、
という立て方のところ、
たしかに、いかなる集団、組織、共同組織性においても、
意見の一致をみることはないのであり、
実務的には、多数決主義により、押し切る他ないというのが
こちらの結論である。
だから、吉本は、真理の普遍性への妄執を
捨てきれない、といえば、それまでのことである。
各派各様、実は、これが世の中の実情であり、
百家鳴争でよいというのが、やはり、こちらの見解である。
まぁ、いかなる思想も、党派性を帯びる。
原則的には、これでOKです、ね。
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